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4月28日 
2012.04.30.Mon / 11:39 
「もしかしたら今日でケンタがいなくなってしまうかも…」

と思いながらも、
目が覚めたら朝5:00でした。



10年以上うちの家族だったケンタがいなくなってしまうかもしれない、と思っているのに
普通に自分が食事をして、睡眠をとれることが
なんだか悲しくて、でもそれも当たり前のことだとも分かっていて…。
と思っているうちに涙が出てきました。
ぽろぽろぽろぽろ涙が流れると鼻が詰まって少し呼吸しにくくなりました。
「ケンタはもっと苦しい状態が生きているかぎりずっと続いていく」
と思うと、ケンタにとって生きている方がいいのか、
早く楽になった方がいいのか…なんだかいろんなことを考えました。

そのまま起床。
今回はダンナさんにも手伝ってもらってラッピングをしました。
レースののり付けと、宛名ラベル貼り。
「この太いスティックのりは合わない。宛名はシールシートでするべき!」
と言っていました。
間に朝食をはさみ、全ての梱包が終わったのがお昼丁度くらい。
いいタイミングでクロネコさんが宅急便を届けてくれたのでそのままメール便発送。

意を決して母に電話をしました。

ケンタは前日より元気になって少し睡眠もとれたようでした。
病院に行くときには自分から車にのって移動でき、
数日分の飲み薬をもらって帰宅したとのことでした。


昨日自分で様子をみて、横になっただけでも呼吸が出来なくなると聞いていたので
一晩眠りにつこうと思って倒れただけで死んでしまうように思えて
もうほとんどダメなんじゃないかと、正直思っていました。
安堵で涙が出ましたが、こんな日がしばらく続くのかもしれないとも思いました。

昼食をとり、宅急便、郵便局と寄って実家に到着。

先に末妹と姪っ子が到着していました。
私がみたときには「元気になった」と聞いていたのに、昨日と様子が変わりませんでしたが
妹が着たばかりのときには尻尾を振ってお出迎えをし、
妹のあとをついてまわっていたそうです。
でもときどき自分でお水を飲みに行っていました。
普段は玄関先までしか許していませんが、
人が集まっているリビングにふらりと入ってきて、ずっと立っていました。
頭をなでながら視線を合わせると、少しぺろりとなめるように舌を動かしました。
目線を合わせると苦しいことを訴えているようにみえました。
こんな状態で長く生きられるような気がしませんでした。

母が早めに帰宅し、末妹と姪っ子が帰宅。

特に何も考えていませんでしたが、
そのままダンナと一緒に夕飯を食べて帰宅することになりました。
「夕飯までに少し出かけてくる」
とダンナが立ち上がってリビングを出ようとしたときに
今までより多く嘔吐しました。
息が荒く口が開きっぱなしの口から少しずつ濃くなっていくピンクの唾液。

30日から預かるときに
一日2回白湯にお薬と食事の粉をスプーンに2杯あげることや、
明日29日の診察が終わってからケンタの診察券をもらうことなどを話して
夕飯をとりました。
うちの家までケンタをつれてくるつもりでしたが、
実家にいさせて、私たち夫婦がこちらに泊まることにしました。
お肉を焼いているときに少し母の方に移動したかんじがあったのですが
鼻先に持っていっても食べることはありませんでした。
父が無理やりお薬と食事をケンタの口の中に入れていました。



さらに下に続けます。
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